十牛禅図

皆さん、大変な今の時代を生き抜くなかで、矛盾や葛藤、あるいは苦痛や苦悩を感じたことはありませんか?十牛禅図には、そのような世の中をどのように生き、どのように乗り越えていけばよいかが描かれています。

読者の皆さんのなかには、“十牛禅図”という言葉を初めて聞かれた方も多いかと思います。この十牛禅図は十枚の牛の絵からなる物語です。この物語は、2千年もの間、時を超え、国を越えて語り継がれてきました。

「真の自分」を「牛」に喩えてその牛を求め、捕まえ、馴らし、ついに自分と牛とが全く一つとなり、その後は牛、すなわち「真の自分」とひとつであったことさえも忘れ、ごく当たり前の生活に再び戻ってゆくというお話です。「真の自分を探す」とは本心と邪心が葛藤しないピュアな心、誰の心の中にも存在する仏心を探すことであり、別な言い方をすれば良心の指向するところの自分を探すことを意味しています。

十牛禅図に出てくる牛飼いはいつも何かを求めています。「お金が欲しい、地位が欲しい、名誉が欲しい」と欲心が先立つのですが、「しかし人生はお金だけではない、地位だけでもない、また名誉だけでもない」というようになり、やがて牛飼いはあの哲学、この宗教と求め求めて、少しでも成長しよう、進歩しようと努めるようになります。しかし、その過程は決して平坦な道のりではりません。

このように、私たちの心は野飼いの牛のように頑固で、なかなか言うことを聞いてくれません。しかし、その心に振り回されつつも、私たちはいつしか本当の自分を探し求めるようになるのです。

では、なぜ人間はこのように何かを求めるのでしょうか?それは、人間の心のなかには常に本心と邪心が葛藤しており、自己の内部に矛盾を感じると、生来、備わっているはずの善なる原点に立ち返りたいという思いが存在しているからです。すなわち人間は、仏性を宿した存在でありながら、実際には不完全な罪深き存在(凡夫)であり、生まれながらにして自らのそのような尊い本性、すなわち仏性に気づくことができないという矛盾を抱えた存在なのです。

十牛禅図に登場する牛は私に宿る仏性そのものです。そして、私のなかにそのような仏性(牛)を見出すことが悟りです。ですから、十牛禅図は悟りへの道のりを説いた物語なのです。以上の内容を読まれて、この物語に興味をもたれた方は、すでに牛を尋ねているのかもしれません。

仏の教えに発菩提心*という言葉があります。この十牛禅図をご覧になられて、そのような思いを少しでも感じていただければ、喜ばしい限りです。

* 発菩提心−菩提心を起こすこと。悟りを求めようと
決心すること。発心。皆さん、大変な今の時代を生き抜くなかで、矛盾や葛藤、あるいは苦痛や苦悩を感じたことはありませんか?十牛禅図には、そのような世の中をどのように生き、どのように乗り越えていけばよいかが描かれています。

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