智慧の世界へ 孔子編4 ~自らの過ちを認める2

いろいろな問題が起こったり、人間同士がぶつかったり、戦ったりしたとき、人格者は、「このような問題の原因は自分に何か過ちがあったからだ」と反省して、自分の中に探し求める姿勢を持っています。自分自身の責任として、その責任を背負って、自分を戒め、自分を転換することによって、解決していこうという姿勢を持っています。そして、そのように過ちを改めていこうとするのでますます成長し、人格が磨かれていくのです。しかし一般的には、「他の人が悪いのだ」と、他人の中にその問題の原因を捜し求め、自分ではなく相手に責任を転嫁し、人の過ちや欠点を批判したり、非難したりしてしまうようになるのです。その結果、その問題を通して、自分自身を転換させ、成長していくチャンスを失ってしまうのです。

また、自分の過ちを認めざるを得なくなると、今度は「こういう理由で、そうするのは仕方がなかったとか、そんなことを言われても、それは無理なことだ、不可能だ」と自己正当化をし、自己を弁明するためにいろいろな言い訳をするのです。その結果、自分の過ちに気付くこともなく、また、認めることもないため、同じ過ちを繰り返すようになります。このような姿勢を保持する限り、“人間性の成長”という観点から何かを期待することは極めて難しいといえるでしょう。

問題の原因を自分のうちに探し求めることは辛く、苦しいことです。一方、他人のうちに非を探し、責任転嫁していくことは容易なことです。では、このような困難な状況に遭遇した時、私たちはどちらの態度を取るべきでしょうか? それは言うまでもなく明らかです。人間性を高め成長していくには、より困難な道、苦しい道を選択していかなければならないということでしょう。そのように苦しい道なので、自分の過ちとして認めて、自分の責任として背負う人を孔子は見たことがないと言われたのです。

孔子は魂を磨き、自己を中心とした欲望、すなわち”我欲”を一つひとつ取り除くことに心を注ぎました。その結果、70歳になった時は、その時までに犯してきた様々な過ちを改めることができるようになったようです。そして、自己の良心基準に照らし合わせて自分の行動や心を判断した結果、どのようにチェックしても良心に偽りがない、と言うことのできる境地に達することができたのではないでしょうか?

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