智慧の世界へ 釈迦編1 無知の知

釈尊は、ソクラテスや孔子と同じ時代に生まれた人でした。その釈尊も「無知の知」について以下のように語っておられます:

もしも愚者が、『われは愚かである』と知れば、
すなわち賢者である。
愚者でありながら、
しかも自分は賢者だと思うものこそ、
『愚者』と呼ばれる。

ここで釈尊が言わんとされたのは、「自分の無知を知っている者こそが、賢い人である。自分の無知も知らずに、自分は賢い、分かっている、知っていると思い込んで、錯覚している者こそが、本当に何も分かっていない無知で愚かな人間である」ということです。

釈尊の悟り

釈尊の生まれた時代のインドでは、バラモン教の多くの行者たちが修業をしておりました。釈尊はマガタ国という小国の王子として生まれましたが、地位、名誉、 財産、権力など外的にはすべてが満たされているにもかかわらず、人生のすべてに苦痛を感じていました。特に、生老病死の四つの問題について考え、苦しみ、 そして、ついにその苦しみからの解放を求めて、29歳の時にすべてを捨てて出家したのでした。

釈尊は、最初、苦しみから解放されるため に、バラモンの行者として、断食やありとあらゆる難行・苦行を行いました。ところが、ナイランジャー川のほとりで、肉体の極限状態に至った自己を見つめた ときに、いくら厳しい修行をしても悟ることができないことを知り、これまでの体を打つ修行をやめて、菩提樹の木の下で瞑想にふけったのでした。その時、釈 尊は「もし、ここで悟れないのであれば、死んでもかまわない」という覚悟をしたと言われています。
1日目、死の覚悟をした釈尊の心はもはや自由を 得、心は軽くなり、執着から解き放たれました。そして2日目。自己を振り返ったときに、「心の中の平安は王子としての優雅な生活でも得られなかったし、出 家してからの厳しい修行も心の安らぎを得ることはできなかった。つまり、人の心を癒す弦楽器の弦が強すぎても弱すぎても駄目なように、人の生き方も極端に 偏らないほうが良い」ということを悟りました。そして、さらに瞑想を深めてゆくなかで、これまでの不足な自己を懺悔し、心の中の曇りを取り払っていったの でした。

釈迦編2 ~マーラの誘惑

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

関連記事

ピックアップ記事

  1. 2015/6/27

    十牛禅図
    皆さん、大変な今の時代を生き抜くなかで、矛盾や葛藤、あるいは苦痛や苦悩を感じたことはありませんか?十…
  2. 私たちは一般に、言葉で考え、言葉で行動しています。たとえば、愛するという言葉を意識することによって、…
  3. ソクラテス、孔子、釈尊の三人の哲人、聖人は、ほとんど同じ時代に誕生しましたが、イエス・キリストは、そ…

話題の記事

  1. 2015/6/27

    十牛禅図
    皆さん、大変な今の時代を生き抜くなかで、矛盾や葛藤、あるいは苦痛や苦悩を感じたことはありませんか?十…
  2. 私たちは一般に、言葉で考え、言葉で行動しています。たとえば、愛するという言葉を意識することによって、…
  3. ソクラテス、孔子、釈尊の三人の哲人、聖人は、ほとんど同じ時代に誕生しましたが、イエス・キリストは、そ…

アーカイブ

ページ上部へ戻る