智慧の世界へ 釈迦編2 ~マーラの誘惑

そして6日目の夜のことです。突如、今までにない試練がありました。それは、マーラ(悪魔)の誘惑でした。その一つは、女性の官能的な誘惑でした。瞑想にふける釈尊の悟りを妨げようと、心の内なる悪魔が誘惑してきたのです。次に、「あらゆるこの世の栄耀栄華を与えるので、そのようなつまらないことはやめろ」と迫ってきました。それは、言い換えるならば、この世の栄誉栄華、あらゆる欲望が、人間が悟りの境地に達する道を塞いでいるということです。

そして最後に、魔王は大軍を率いて、「瞑想を止めなければ命を奪うぞ」という恐怖心をもって揺さぶってきました。しかし魔王は、すでに死を覚悟し、死をも恐れぬ釈尊の強い心を打ち砕くことができず、敗北し、消えうせたのです。最後は命に対する執着心さえも捨て、死の恐怖を超えることができなければ、苦しみから解放されることはできないし、悟りの境地に達することはできないということなのでしょう。愛欲に対する執着心、この世の栄誉栄華に対する執着心、最後に、命に対する執着心、そのような欲心、執着心に対する誘惑と試練に打ち勝ったとき、ついに、ある悟りの境地に達することができたというのです。

無知の克服の道

その答えとは、「自己中心的な欲心との戦い」にあります。つまり、我欲との戦い、悪魔との戦いに勝ったからなのです。悪魔は常に心のすきにつけ込み、煩悩の炎を燃やそうとします。官能の欲望を楽しめ、と誘惑をします。そして、「智慧を求めるなんて愚かなことだ」と嘲笑します。釈尊は、この悪魔の誘惑と試練を完全に退けて悟りの世界に入られ、奇跡を実現されました。このことを「渡りがたい激流を渡った」と表現されています。苦しみのこの岸から楽園のかの岸へ完全に行ってしまったということです。自己中心の欲心が完全になくなり、我欲が消滅し、心と体の戦い、すなわち自己の矛盾性、煩悩がなくなり、自分自身の心と体に染み付いていた自分を中心とした概念が完全に消えて、無我となり、悟りの世界、智慧の世界に到達したということなのでしょう。

釈迦編3 ~無知の克服の道

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

関連記事

ピックアップ記事

  1. 2015/6/27

    十牛禅図
    皆さん、大変な今の時代を生き抜くなかで、矛盾や葛藤、あるいは苦痛や苦悩を感じたことはありませんか?十…
  2. 私たちは一般に、言葉で考え、言葉で行動しています。たとえば、愛するという言葉を意識することによって、…
  3. ソクラテス、孔子、釈尊の三人の哲人、聖人は、ほとんど同じ時代に誕生しましたが、イエス・キリストは、そ…

話題の記事

  1. 2015/6/27

    十牛禅図
    皆さん、大変な今の時代を生き抜くなかで、矛盾や葛藤、あるいは苦痛や苦悩を感じたことはありませんか?十…
  2. 私たちは一般に、言葉で考え、言葉で行動しています。たとえば、愛するという言葉を意識することによって、…
  3. ソクラテス、孔子、釈尊の三人の哲人、聖人は、ほとんど同じ時代に誕生しましたが、イエス・キリストは、そ…

アーカイブ

ページ上部へ戻る